手を離して目を離さない子育て・親育て

自閉症スペクトラム(ASD)親娘の日常(過去・現在)を中心に書いています

私の学生時代(2)

前回の続きで学生時代の私の問題点。

コミュニケーション力の低さ

3つ目は、コミュニケーション能力の低さです。

幼児期から同世代の人とコミュニケーションをとることが苦手で友達もほとんどいませんでした。前回書いた要因もあり、ますます周囲の人と距離を置くようになります。

周囲に上手く伝えられず、一人で抱え込んでしまった例を挙げていくと……

「化粧すれば映えるのに」

前回書いた香害もあり、ほとんど化粧をしてませんでした。この後に書く内容でも共通しているのですが「おしゃれは、好きな人がどんどんすればいいし、私は、時と場所、気分で時々すればいい!」という基本の考えがありました。これは昔も今もずっと変わらない部分です。

「スカートをはかないの?」

女子大生には珍しいGパン+Tシャツが基本です。子供の頃からスカートやひらひらの服は好きではありませんでした。体のぎこちなさや異常な汗かきもあり、デザインより動きやすさや着心地の良さ優先です。首を締め付けられる感があるのでタートルネックやハイネックは体調が良い時のみ。(トップスの課題は30歳以降に改善されました。)足も外反母趾の幅広で、合う靴を探すのも大変でついついスニーカーを選んでしまっていました。その他色々あったり、小学生の頃、つりスカートの紐が嫌だったことも要因ですが、大きなきっかけは幼児期の火傷です。自宅で左膝下から踝まで熱湯を浴び火傷を負いました。その瞬間のことは覚えていませんが、直後の家族の対応と自分の様子は40年以上経った今でもはっきりと覚えています。ほぼきれいに治ったのですが、日焼けをするとその部分だけ色が違うので分かります。おそらく言わなければ他人には全く気付かれないと思いますが、私は気にしていました。そんなの気にしないわ♪」と言えるようになるのは30歳近くになってからです。その頃にようやく自分でもほとんど分からないレベルまで回復しました。

化粧と同じように、おしゃれは時々でいいよ~でした。

「テニスしないの?」

当時付き合っていた人がテニスをしていたため出てきた話なので、次回の恋愛編と関わってくるのですが運動は苦手です。

特に球技!ボールを見て動いて…理屈はわかっていても、体が思うように動かないんだよぉ~~~!

軽い発達性協調運動障害かもしれません。人並みにできるようになろうと思ったら、プロ並の努力と心の強さが必要です。これもまた「好きな人、得意な人が好きなスポーツを楽しめばいい!私はテニスをやらないだけ、スキーを楽しめればいい♪」です。体のぎこちなさについては、また別の機会に書きます。

スポーツ観戦とか、いろいろ見るのは好きです。うわぁ~!っと盛り上がるタイプではないので冷めているように見られがちですが。これについては、後ほど。

「あまりしゃべらない」

話しかけられれば、必要なことだけ答える感じでした。

会話が続かない、思うように言葉が出てこない、目を合わせることが苦手。これらは小学校入学してすぐの頃から自分で気付いていました。

吃音の傾向についても、別の機会に書きます。

「空気を読めない」

私の場合は全く空気を読めないのではありませんでした。女の子によくある他愛ないおしゃべりや、みんなに合わせて盛り上がるというのが上手く出来ません。

カラオケとかスポーツ観戦とか……。音痴で小中学生の頃のトラウマからできるだけ人前では歌いませんでした。賑やかなのは大好きなので、そういう場へは行きたいのですが、私の行動は場の雰囲気を盛り下げてしまうことも自覚していました。

表情は読み取ることができたので、私が何かしたり言った時の反応で「またやってしまったな」と反省の繰り返しです。気のせいでは?と思われるかもしれませんが、ほとんどの場合当たっているので、その後、避けられるということは頻繁に起きていました。

話は少し変わりますが、アニメ「ラブライブ!サンシャイン!!」は、ご存じでしょうか?TV放送を録画して娘と見ているのですが、2期第4話「ダイヤさんと呼ばないで」は、私の行動と重なり共感できる部分があったので見ていて胸が締め付けられる思いでした。ただし大きく違う点は、ダイヤちゃんには鞠莉ちゃんや果南ちゃんがいましたが、私にはいません。

周りに合わせられない避けられる仲間に入ろうと努力してみる→見た目のイメージや普段の様子と違うので受け入れられないどうすればいいかわからない孤立周りからのイメージ通りを演じることが当たり前になり自分を見失う

こんな経験を子供の頃から何度も数え切れないくらい繰返し、二次障害を引き起こすパターンにはまってしまっていました。

 

以上3つのようなことがあり、就職活動もままなりません。就職氷河期でもありましたが、在学中の大学名を名乗ることさえ声が出ないほどストレスを感じていたり、自己PRが全くできませんでした。自己肯定感を持つことができていませんでした。

結局、実家の仕事の手伝いをすることになります。中学以降、必要な文書作成は全て私が行っていたので、子供の頃から手伝っていた内容そのままで、お小遣い程度の給料を得ることになりました。

高校卒業の時からずっと、あまり良くないとは言われていたのですが、大学卒業直前に緑内障の診断も受けていました。我が家には、同時期にパーキンソン病の診断を受けた父、痴呆の祖母(私が母のお腹の中にいる時に診断を受けたそうです)、二人の介助が必要な状況でもあったので、就職活動を諦めてしまいました。

 

自分の失態から学んだことは、広い視野を持ち、自分の身体について理解し、周りに理解してくれる人がいて自己肯定感を持つことができる。とても大切なことだと思います。

そして、周りの人と同じようにできない人には「どうしてそうなんだ!?」と否定したり見下したりするのではなく、他人には上手く伝えられないけれども何らかの原因があるかもしれないと気付いていただけると、とてもありがたいです。

次回は、学生時代の失敗、恋愛編です。

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過去記事まとめ
このブログについては、プロフィール(翼の折れたペガサスid:thebrokenwing&1回目の記事をご覧下さい。

2018/10/30 手のかかる親子の日記始めます ~二次障害を防ぎたい~
2018/11/02 乳児期 ~手のかかる赤ちゃんとダンナ~
2018/11/06 発達の遅れ ~発達障害???~
2018/11/12 園生活 ~幼稚園探しと集団生活への課題~
2018/11/16 診断~自閉症スペクトラム


=現在の私の教育・療育の基本になる経験・失敗談=
2018/11/19 私の学生時代(1)適性と病気への理解
2018/11/21 私の学生時代(2)コミュニケーション力