被爆2世の私が娘に伝えられること
8月6日は登校日。8時15分黙祷。原爆、平和について学びます。
私の父は学徒動員で作業中に被爆。母は小学校で朝礼後、教室へ入ろうとしていたそうです。祖父母、叔母たちは家で被爆。その夜、幼かった叔母は避難先で亡くなりました。当時のことを聞く機会はほとんどありませんでした。両親も自らすすんで語ることはなく、私もつらいことを思い出させるような気がして聞けませんでした。祖母の身体に大きく残ったケロイドを目にするだけで伝わるものもありました。
娘は被爆3世。私が知っていることは伝えたい。原爆について語れることは少ないけど、知ってほしいことがあります。両親が「どう生きたか」です。
会ったことがないおじいちゃん、7歳の時に見送ったおばあちゃん。多くのものを失った広島で、常に人を思い、復興を支えた人たちのことを。私の言葉だけでは、娘には実感がわかないかもしれないけど。
今朝も、なかなか起きられない娘に、私の両親の被爆体験を話しました。
この時間、この天候・気温、どんな状況だったのか、被爆後どう行動したのか。
ダンナと娘は押し黙って聞いてくれました。
最近、ダンナも似たことを考えてるんだなぁと思う出来事がありました。
ドラマ『いだてん』第24回種まく人。関東大震災後の様子を描いたシーンで突然
「これは見ておいた方がいいと思うぞ。」
「震災があったという事実はどこかで聞くかもしれない。でも、どう立ち上がったか、復興したかについて聞くことは少ないかもしれないから。」
東日本大震災、電話が復旧するまでダンナの実家と連絡がつかず心配した数日。
西日本豪雨で目の前に広がる被害状況、避難した親戚。
「生きる」ことを伝えたい。
周りの人や物事を「理解する」ということは、まずは「知る」こと。
そして、詳しく知りたいと思った時に「調べ」たり「覚え」たりして理解を深めればいいのだと思います。
令和元年「平和への誓い」(こども代表)より抜粋
国や文化や歴史、違いはたくさんあるけれど、
大切なもの、大切な人を思う気持ちは同じです。
みんなの「大切」を守りたい。「ありがとう。」や「ごめんね。」の言葉で認め合い許し合うこと、
寄り添い、助け合うこと、
相手を知り、違いを理解しようと努力すること。
自分の周りを平和にすることは、私たち子どもにもできることです。大好きな広島に学ぶ私たちは、
互いに思いを伝え合い、相手の立場に立って考えます。
意志をもって学び続けます。
被爆者の思いに、私たちの思いを重ねて、平和への思いを世界につなげます。
このブログについては、プロフィール(翼の折れたペガサスid:thebrokenwing)&1回目の記事をご覧下さい。